ご縁のくにの、あたしのひとり言。

晩婚、高齢出産からの子育てをおそらくメインに、島根のこと、山陰のこと、なんだいかんだい、方言混じりで綴ってみます。

コーチングを意識し出して

コーチング。


講座を開講する機会が増えれば増えるほど、



『教える』


『学ぶ』



について、考える機会が増えました。



随分前に、テレビ番組の中で

島田紳助さんが勉強をし続ける娘さんに


『なぜそんなに勉強するのか?』


という質問をされた時、娘さんはこう答えたそうです。


『将来の選択肢が増えるやろ?』


と。




以前、

エステティシャン養成コースの講師をしていた時、実技に関しては例えば

ある程度の型やマニュアルを正解として、

合格へむけての指導という事をしていました。




だけれど今思うのは、(その過去が間違いだったという事ではなく、)


それは教える側として、天井を決める様な伝え方になってしまうとなかなか難しいなという事を思いながらの毎日だったことを思い出しました。


《規定の中の正解を⭕️とする》という側面もありつつ、


《何故その規定が必要とされ、ここでは正解として⭕️となるのか》


をある程度理解していないと、それを何かしらの形で伝えておかないと、



正解とされる答えから数ミリでもズレると

不正解❎と、《ここではなる》場合の意味や、


場合によっては不正解❎が、場合によりけりで正解になり得ることも伝えなくてはならないという、


グレーな部分も正解にもなり、

大正解にもなり、

不正解にもなる、

いわば、


正解って何なんだ?


という事があり得るから、


だからこそ

学び、

選択肢を考え、

選択肢を増やす


はたまた他にも学びから得られる可能性や、


学びから得られる世界を広げられる面白さは


学び続ける自分にしか味わえない特権であるかもしれないなと。



コーチングを学びだしてから、

最近とても感じる事だったりします。




誰かに、正解を作って欲しい


誰かに、それでいいよと言って貰えたら


確かにその時は安心します。



安心したいから。



だからこそ、



教える


という事は、

テーラーメイドで時にはある必要もあり、

デリケートな事でもあり、


教えを受取る側のその先の選択肢を

受けたその人が自ら増やし、自らが自らの手で

温度を感じながら、時に痛みや安らぎを感じながら、要は自分で教えを活かして歩みを実感出来て初めて、


教える人の、

例えばその、

《教える》とか

《アドバイスする》とか

《相談にのる》という行為が生き、


その受けた人が学べて、


例えば

『自分で出来る』

『解消できた』

『自信がついた』


なのかなと。



関わり続けることは、

そして、どのようなことなのか。


頼られ続けることも、関わり続けることでもあるし、


どこかで、見守る関わりにシフトして、

その距離感での関わりを続けることもきっとそうだろうし。




なんか、


今日そんな事をおもったのでした。


コーチングって、カタカナ表記でない

漢字やひらがなでの表現にしてみたら、

どんな感じになるのかな。



兎にも角にも、

面白い学問であり、文化です。



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